2022年5月の便り (大場さん)

登呂遺跡を訪ねて

オミクロン株の変異が進み、先の見えない自粛生活が続いています。
会話のない毎日を送っていると難聴が益々進み近所の立ち話にも不便を感じております。
4月中旬に故郷の静岡を訪れる機会ががあり、懐かしい風景を楽しんできました。
ブログの記事がないときの穴埋めに使って下さい。
何時になるか分かりませんが、再会を楽しみにしています。

元気にお過ごし下さい

登呂遺跡を訪ねて

 
皆さん一度は目にしたことがある名称と思いますが、生まれ故郷の静岡に出向く用事があ
り50年振りに登呂遺跡を訪ねてみました。
戦時中の昭和18年に航空機の部品工場を建設する折、偶然発見された古代集落跡は、戦
後の昭和21年に大々的に発掘調査され、弥生時代の住居跡、稲作遺構や、木製の農機具
 、穀物倉庫などが発掘された事から全国的に話題となり、「日本のあけぼの」として教科書
にも取り上げられました。現在は特別史跡に指定され保存されています。


復元された住居               高床式穀物倉庫

開放的な建屋や広々と広がる田畑、ネズミ返しの構造を施した食糧倉庫などが発掘され

 当時の考古学者は、弥生時代は争いのない平和な暮らしだったと考えた様です。
 しかし、戦後の高度成長期に入って住宅や工業団地などの開発が進み、日本全国に古代
 集落の遺跡が発見されました。登呂遺跡よりはるかに大きな集落跡が発掘されると、こ
 れらの遺跡には堀が廻らされたり木製の柵で外敵を防いだり高見台まで備えた村があり
 弥生時代も決して平和だったとは言えない、争いが絶えない時代であった事実が判明
 しました。これからも考古学的な新発見や研究が進むと思われますが、博物館の学芸
 から興味の尽きない話を伺えました。
 
 青森の三内丸山遺跡や佐賀の吉野ケ里遺跡などは環濠遺跡として立派に復元されていま
 すので興味のある方は訪ねてみて下さい。下の写真は吉野ケ里遺跡の遺構です

吉野ヶ里遺跡の高見台                     同左の堀と棚

                                      (2022年5月12日記  大場)